12.借り物詩歌と幸せな

【借り物詩歌と幸せな】

 そうして、彼と彼女の物語は幕を閉じた。
 故に、この先は蛇足。語るも無為な余談でしかない。
 それでも語らざるを得ないのは、何のことはない、語られなかった真実を示さねばならないと、彼女がそう判断したからだ。
「当たり前のことじゃあないか、キミ。単に巻き込まれただけであっても当事者たる彼に対して何の説明も無しというのは、責任放棄というものではないかな」
 同属殺しの純銀、世界最高の魔法使い、最善のアズファンダリアは、そう言った。

 彼、小鹿誉晴がリセルシア・ブルーアシードに呼び出しを受けたのは、先の事件から一ヶ月後のことだった。
 指定された待ち合わせ場所は吉祥寺の駅前で、東京廃街の目と鼻の先ということもあってか、人通りは疎らな割に無骨な建設機械のエンジン音ばかりがうるさく響いていた。
 小鹿の住まいは三鷹にあるマンションだが、一駅近づくだけでこうも違うものかと実感する。
 第三次魔女革命において欧州から西進した魔法使いの実質的な終着地点。即ち、最後の戦場跡がこの先にあるのだ。
 彼の故郷と呼べる場所も、その廃街の奥にある。
「やあバンビ君、久しぶり」
 小鹿のそんな感慨を知ってか知らずか、背後から投げかけられた声は至極陽気なもので。
「ああ、どうも、お久しぶりです」
 振り向いた視線の先には、レディーススーツをしっかりと着こなしたリセルシアが立っていた。
「休日にわざわざすまないな。私だけならこちらから出向いても良かったんだが……どうしても君に会いたいと言うから」
 言いながら、リセルシアは踵を返す。
 ついて来いということだと判断し、小鹿もそれに倣った。
「はあ、誰がですか?」
「魔法技術管理局中央西支部管理室室長……平たく言えばウチのトップ」

 リセルシアが案内した先は何の変哲もない喫茶店だった。
「単に職場から近いんだよ。」
 あの人はあまり出歩くのが好きなタイプではないから、と続けるリセルシアが示した窓際のボックス席には、先客が一人静かに座っている。
「やあ、キミが小鹿君? はじめまして」
 ”彼女”は立ち上がり、小鹿に微笑みかけた。その姿に、小鹿は思わずたじろぐ。
 足先にまで届きそうな長い髪、薄く細めた瞼の下にある瞳、そのどちらも鈍く光を反射する銀の色。
「ボクはウルファーマー・アズファンダリアと言う。まぁ座りたまえよ」
 小柄な体躯とはまるで不釣り合いな、少女のようにも老婆のようにも聞こえる不思議な声だった。
「あ、どうも……」
 ようやくそれだけを口にして、小鹿はウルファーマーの正面に腰を下ろした。
 いつの間にかリセルシアはウルファーマーの隣に着席しており、店員に飲み物を注文している。
「バンビは何か飲む?」
「えーっと……じゃあ、アイスコーヒーを」
「なんだ、キミは若いのにコーヒーが好きなのかい? あまり体に良いものではないよ」
 大きなお世話だ、と思う。
 大体、ウルファーマーは見るからに小鹿よりも若そうだ。ともすれば、幼いと表現してもいいほどに。
「イヴ、そういう年寄りくさいことは言わない方がいい」
「事実年寄りなんだから仕方ないさ」
 リセルシアとウルファーマーの間で交わされる軽口には、まるで上司と部下という関係性が見えなかった。
 社会経験のない小鹿ですら、リセルシアの態度は目上に対するそれではないことくらいは理解できる。
「まぁいいさ。それより小鹿君、まずは謝罪からだね。今回……と言っても、もう一月も前の話だけれど、とにかく申し訳なかった。補償についてはボクの管轄ではないから具体的なことは言えないけれど、何らかの形で対応はするつもりだよ」
「いえ、別にそういうのは……。特に何があったってわけでも、ないですし」
「馬鹿なことを言うものじゃないさ。これはボクらの責任だからね。そいつは精算しなくちゃいけない」
 一息。
「ボクらは真摯でなくちゃならないのさ。それもまた責任であり、責務だね。何もしなくていいのならその方がありがたいのは事実だけれど、対外的な姿勢というものもある。よく言うだろう? ”こちらの顔を立てると思って”ってやつだよ」
「はあ、よくわかりませんけど」
「今は”戦後”ってことさ」
 ちょうど注文した飲み物が運ばれてきて、ウルファーマーはやや強引に話を終わらせた。
 リセルシアと小鹿にはアイスコーヒーが、ウルファーマーにはアイスティーが行き渡ったところで、彼女は改めて口を開く。
「それじゃあ、話をしようか。今しがた責任についての話をしたけれど……その続きだね。補償については管轄外だけれど、ボクらにはボクらの管轄内での責任がある。自己満足と言われればそれまでだけどね」
 ウルファーマーは僅かに目を伏せて微笑んだ。
 小鹿はそれを優しい笑みだと思う。
「説明責任というものさ。”あの世界”と”彼女”について。あるいは……」
 アイスティーのグラスにストローを落としながら、ウルファーマーは言葉を区切った。
「対魔法使いを想定した人類の防衛計画群、ツォアル構想と、その産物についての話だよ」
 からり、と、グラスの中の氷がなった。

「はじまりは十五年前。当時は魔術が生まれる前だから、まだ”魔法管理局”だったかな? まぁ、単に管理局と言うけれど……とにかくそのロンドン第三支部で発生した魔法使いの一斉蜂起。いわゆる第一次魔女革命だ」
 十五年前の事件と言われても、小鹿にはいまいちピンとくるものはない。
 何しろ物心つく前の、それも遠く離れた海外の話だ。それはもう近代史の教科書の中の出来事である。
「魔女革命なんて大それた名前がついているが、別に大したものじゃあないさ。革命それ自体は一日足らずで鎮圧された。蜂起した千人余りの魔法使いは、その一夜で全員死んだ」
 ウルファーマーはアイスティーのグラスを傾けようとしてすぐにストローの存在を思い出したらしく、ばつが悪そうにグラスをテーブルに戻しながら、まるで何でもないことのように、
「ボクが殺した」
 そう、続けた。
「細かい事情は置いておくとして、重要なのはね、小鹿君、第一次魔女革命において、人類は魔法使いに何一つ対抗出来なかったという事実さ」
「あの、人類って、言うと……ウルファーマー、さんは」
 戸惑う小鹿に対し、ウルファーマーは
「ああ、ボクは魔法使いだよ。同属殺しの純銀、最善の魔法使い、そういうものだ」
 あっさりと名乗り、彼女は改めてアイスティーを一口、口に含む。
 魔法使い。それは人類の上位種であり、人類の敵だった。少なくとも、小鹿の価値観ではそういう存在だ。
 彼らは人間と全く同じ姿形を持ち、突然変異的に人間の両親から生まれてくる。
 唯一の違いは魔法という奇跡を行使できるという一点だけしかないが、それだけでも魔法を持たない大多数の人類にとって脅威的な存在だ。
「話を戻そう。人類には魔法使いに対抗するための手段が必要だった。第二、第三の魔女革命に備えてね。そうして始まったのが、対魔法使いを想定した人類の防衛計画群、ツォアル構想さ。その内容は多岐に渡る。中核は魔法技術……いわゆる魔術の開発だったけれど、聖域計画、箱庭計画、揺籠計画……他には何かあったかな?」
「イヴ、それは多分軽々しく口にしちゃいけない類の話だ」
 渋い顔をするリセルシアに、イヴは苦笑する。
「とにかく、”あの世界”はそうした計画群の中の一つとして作り出された実験場だ。目的は至ってシンプルで――」
 一息。
「――人間の手によって、魔法使いを作り出すことにある」
 小鹿は何も答えない。
 ウルファーマーの言う言葉の意味は理解していても、それ以上の意図を読み取ることは、彼には不可能なことのように思えた。
「つまりね、アレは人体実験のために作られた空間なんだよ。魔法使いに対抗するためには魔法使いを作り出せばいいという、至極簡単な理屈によってあの空間は生まれ、そこに人の種が蒔かれた。いやしかし、それにしたって笑える話じゃあないか。魔法使いを作り出す手段なんてものが存在すると、彼らは本気で考えていたんだよ。適切な環境さえ用意すれば人類を”進化”させることができると」
 ウルファーマーはクツクツと笑う。
「けれど馬鹿に出来るものではないね。エーテルで満たされた閉鎖空間において代を重ねた結果、その世界の住人は確かにある種の力を獲得したのさ。正確に言えばそれは魔法ではないけれど、しかし魔法によく似た力であることは事実だ。キミも見たんだろう?」
 小鹿はカリシカのことを思い出す。
 彼女は確かに、リセルシアを排除すべく”何か”をしてみせた。
 それがウルファーマーの言う”ある種の力”なのだろうか。
「とは言え問題は山積みでね。その世界の仕組みは一般的な人間社会とはあまりにも違いすぎていた。何しろそこに住まう生物は人間でも魔法使いでもない異物だ。まともなコミュニケーションも成立しなかったようだよ」
「え? でもカリシカは……」
「まぁ聞きたまえよ。そもそも、あの世界の住人は言語という文化を持たない。空間に満ちるエーテルを媒介として感覚を共有するコミュニケーションの手段が確立されていたからだ。しかしそれでは”人間”との意思疎通は出来ないし、何よりこの世界で生きていくことも出来ない。故に、その世界の管理者は調整を行った。その世界に存在するエーテルを結晶化させることで空間中のエーテルの密度を下げ、彼らのネットワークを衰退させたのさ。同時に、書物を与えることで彼らに言語を学習させようとした」
 小鹿には魔法や魔術に関する知識は無いため、ウルファーマーが何を言っているのかがよくわからない。
「奴らにはテレパシーがあるから言葉がいらなかった。それを言語をベースにした文化へシフトさせようとしたってこと」
 その様子を見て、横から小さくリセルシアが補足する。
「まぁ、それも上手くはいかなかったようだね。エーテルという物質は、マナ――つまりこの世界に存在する”意味”をエネルギーに変質させたものだ。だったら、言葉をエーテルに変えることだって出来るだろうさ。何しろ言語ってのは意味そのものなんだから。結果的に、その世界の住人は与えられた言語を消耗品として利用するようになった。与えられた言語を喰い、それを分解し、繋ぎ合わせることでコミュニケーションを取る。自ら言葉を生み出さずにね。……きっと”それ”は”そういうもの”だったのさ」
「けど……カリシカはちゃんと話してたはずです。俺と、会話もできてたし」
 カリシカは確かに、あの錆びついたような声で小鹿と言葉を交わしていた。
「言ったろ? あの子は言葉を喰らい、それを繋いで意味を成す生物だ。逆に言えば、安定的に言語を摂取し続ける環境があれば、摂取した言葉を借りて会話もできるはずだよ」
「言葉を……摂取して?」
「そう、例えば――歌とかね」
 小鹿は、彼女の語ったあまりにも不器用な言葉の群れを思い出す。
 その正体が果たして何だったのかを、思い出す。
「喜べよ、小鹿君。偶然とはいえ、キミは”あの生物”とコミュニケーションを取ることに成功した最初の人類なんだぜ?」
 ウルファーマーは薄く笑みを浮かべながらそう言った。
 その微笑が、どこか底意地の悪い不気味なものであるかのように思えた。

「まぁ、あの子が何者なのかなんてのは些事だよ。キミにとってはね。あの世界が何であり、キミは何に巻き込まれたのか……ボクがキミに伝えなければならないと考えているのは、その二つだけだ。ああ、もちろん質問には何だって答えるよ。こう見えてボクは人と会話することが大好きなのさ」
 黙って聞いていたリセルシアが嘆息する。
「あの世界は”聖域”で開発され、その崩壊と同時に情報も失われた遺物の一つだ。……”聖域”については知っているかい?」
 聖域という名は小鹿にも聞き覚えがある。
 彼の知る限り、聖域崩壊事件はここ数年で最も大きなニュースの一つだ。
「えっと、確か魔法使いが不法占拠してた街……ですよね」
「博識だね。第三次魔女革命の終結後、世界中の魔法使いがあの城塞都市に集まって人間社会との繋がりを断った。元々、”聖域”は人類が魔法使いに敗北することを前提に建造された、外界からの干渉を一切排除して稼働する独立都市だ。立場は逆になったけれど、機能だけを見ればボクらは極めて正しくあの都市を利用したわけだね」
 皮肉な話だけれど、と続けて、ウルファーマーはどこか懐かしむように視線を逸らした。
 世界中の魔法使いが集ったということは、つまり彼女もまたそこにいたのだろう。
「とは言え、ボクら魔法使いは”聖域”を横取りした身だからね。当時の管理局の研究施設や軍事施設……他にも色々あるけれど、そういった重要施設にまで手を出せたわけではないし、現実的には魔法使いだけの理想郷だったわけじゃあない。それ以前に、あの都市は未完成だったんだ。それは結果から見てもわかるだろう?」
「結果って……ああ、聖域崩壊事件」
「そう。当時の管理局は”聖域”の存在を看過できなかった。何しろ人類最後の砦を、あろうことか人類の仇敵が占拠しているんだからね。何のことはない、聖域崩壊事件ってのは、そういう間抜けな事情が積み重なって起きた笑える話なんだよ」
 ここに至って、小鹿はようやく眼前の魔法使いの価値観が常軌を逸していることを確信する。
 ウルファーマーが笑い話と言ってのけたその事件は、その実十数万人という数の死傷者を出した紛れもない戦争だ。
「そうして、”聖域”は人間の侵攻によって文字通り崩壊した。あの世界はその混乱の中で失われたものの一つさ。あの世界がまるごと巨大な魔術なんだよ」
 小鹿の動揺を知ってか知らずか、ウルファーマーは淡々と続ける。
「当然、あの規模の人工的なバイオスフィアを維持するには途方も無い手間暇が必要になるけれど、その管理……特に環境と人間の維持全般は魔術によってある程度自動化されていたんだろうね。現にあの世界は外界からの干渉を一切受けることなく、管理者不在の状態で今まで自立稼働していた。まぁ、どうにかしようにも手を出す手段がなかっただけなんだけれどね」
 一息。
「問題はここからさ。魔術だって万能じゃない。聖域の崩壊によって管理者がいなくなったことで、あの世界の生態系は壊れてしまった。ほら、生態系ピラミッドって言葉があるだろう?」
 生態系ピラミッド。端的に言えば、それは食物連鎖のヒエラルキーだ。
「本来、この手の序列構造は上位にいくほど絶対数が少なくなる。最下位が最少数ではバランスが取れないからね。もちろん逆も同じことだよ。最上位が最多数になってしまえば下位の生物は絶滅してしまう。……この場合、最上位に位置するのはもちろん人間だ」
 そのバランスが壊れたということは、つまり。
「そう、彼らは増えすぎたんだよ。そして下位の生物を食い尽くしてしまった。明確に果てのあるあの世界において、食物となり得る動植物の絶滅はピラミッドそれ自体の崩壊を意味する。……さて、小鹿君。キミならどうする?」
 不意に投げかけられた質問に、小鹿はしばし黙考する。
 しかし、人間以外の生物が絶滅した世界など、いくら考えても状況は詰んでいるとしか思えなかった。
「どうしようもないと思いますけど……」
「そうだね。普通はそうだ。けれど、ねえ、例えばボクらの常識や倫理観を取っ払って、ただ種を保存することだけを最優先に考えれば、どうだろう?」
 その仮定の意味するところが、小鹿にはわからない。
 何しろ、いくら考え方を変えたところで状況は変わらないのだから。
「簡単な話さ。つまり、彼らは共喰いを始めたんだよ。ボクらの常識からすれば狂っているとしか思えないけれどね。ある意味、それは極めて合理的な判断とも言える」
 リセルシアがあの世界の中で得た情報からたどり着いた可能性は、しかし小鹿にとっては全く予期しないものだ。
 共食い。即ち、人喰い。紛れもなく、それは禁忌である。
「結果、彼女だけがあの世界に取り残された。……あの世界がどうして生まれたのか。あの子が何故そこにいたのか。これがその全てさ」
 小鹿は答えない。
「一介の学生に過ぎないキミを巻き込んでしまったことについては本当に申し訳なかった」
 最後にもう一度謝罪し、ウルファーマーは黙した。

 十数秒の沈黙の後、小鹿は口を開く。
「あの、聞きたいことがあるんですけど、いいですか」
 わからないことも、知りたいことも、いくらでもあった。
 あの世界のこと、カリシカのこと、とにかくたくさんだ。
「もちろん、ボクにわかることなら何だって答えようじゃないか」
 即答するウルファーマーに、しかし小鹿は逡巡する。
 その原因は事実を知ることに対する恐れだと、小鹿は自覚していた。
 ウルファーマーの語った事実はファンタジーもいいところの不可思議なものばかりで、それ故に恐ろしい。
「その……あの世界のことも、カリシカのことも、まぁ何となくは……わかったんですけど。だったら、俺があの世界に入ってしまったことも、何か理由があるんですか?」
「いいや、キミがあの世界に取り込まれたのは単なる偶然だよ」
 おそらくその質問は予想していたのだろう。
 ウルファーマーは考える素振りも見せず即答した。
「じゃあ、リセルシア……さん、があの世界に入り込むことが出来たのも?」
「そうだね。それも偶然かな。何しろあの世界の管理機能はこちらの世界には存在しないからね。内側からしか開くことが出来ないんじゃあ、中に入るには偶然に頼るしかないのさ」
「はあ……いや、それって何か、不自然だなって……」
 小鹿は考える。
 その世界の管理者が聖域崩壊事件と同時にいなくなったのなら、5年もの間、あの世界は存在し続けていたことになる。
 5年間。それはあくまでも、現実世界での経過時間だ。
「あの、俺がこっちの世界に戻ってきた時……何ていうか、その、時間がズレてたんです」
「ふぅん?」
 ウルファーマーは微笑を浮かべながら、小鹿の次の言葉を待っている。
「確か、入ってから戻ってくるまで十分くらい。いつも学校行く時間って大体同じなんで、多分そのくらいだと思うんですけど……。けど、俺はあの世界に4,5日はいたと思うんです」
「ああ、なるほど。確かにあの世界とこの世界では時間の流れ方が違う。何しろ人間を進化させるための実験場だからね。長い時間が必要になるのさ」
「だったら、やっぱり変だ」
 だってそうじゃないか。
 小鹿は考える。自分があの世界に滞在していた期間が5日間だと仮定して、それが現実での10分に相当するのであれば。
「あの世界の5日が現実の10分ってことは、1時間が30日。24時間で2年。1ヶ月が60年。1年が720年。……5年で3600年」
 つまり、聖域崩壊後、あの世界の中では実に3600年の年月が流れていることになる。
「3600年も、その、共食いだけで生きていけるんですか」
 その問いに、ウルファーマーは思わず目を細める。
「結論から言ってしまえば、不可能だね」
「だったら……」
「言ったろ? あの世界は、そこに存在する環境と人間を自動的に維持するように作られている。その内部で食料が尽きたらどうするかなんて、決まっているじゃないか。何しろ、無いものは無いんだ」
 それは、つまり。
「中に無ければ外から持ち込めばいい、ってことですか」
「なんだ、気づいているんじゃないか」
「……俺は”餌”だったって、ことですか」
 つまり、真相はこうだ。
 管理者を失ったあの世界は、外部から食料を取り込むことで、そこに住まう人造生命を維持しようとした。
 何がおかしいわけでもない。あの世界を構成する魔術が、ただ自らの役目に従っただけの話だ。
 即ち、その人造生命達を、魔法使いを超える超常的な能力を有した存在へと進化させること。
「外部から取り込まれた食料は、ある程度の期間、閉鎖空間に閉じ込められる。おおよそ一週間といったところかな。彼女――カリシカが見に行く頃には、ほとんど瀕死の状態になっているわけさ。もちろん、狩りやすいようにね」
 彼女の言う”食料”が一体何を指すのかなんて、訊ねる必要もなかった。
「キミは幸運な例外だよ、小鹿君。キミより一足先にあの世界に取り込まれたリセがすぐに閉鎖空間を抜け出したために、彼女の狩りと世界の食料供給のサイクルがズレたのさ」
 ウルファーマーは事も無げに言う。
「あの世界における食料供給は最短でも週に一度だ。でないと取り込んだ食料を弱らせることが出来ないからね。同様に、狩りもそのタイミングで行われる。けれど、リセは早々に狩場を脱出してしまった。その例外を埋めるために急遽呼び寄せられたのがキミだ。その結果、リセを狩るために狩場へやって来たカリシカは、取り込まれたばかりのキミと遭遇し、言葉を手に入れた。」
 そこから先はキミの知っているとおりさ、と。ウルファーマーは最後まで、あくまでも淡々と言葉を紡いだ。

 昼を過ぎ、夕刻へ差し掛かかる頃、ウルファーマーはもう一度小鹿に謝罪し、自らの説明責任を全うした。
 それは決して小鹿にとって快いものではない。
 何故なら、知らずにいた方が良かった事実の方が多すぎる。
 ウルファーマーは自らを最善の魔法使いと言ったが、彼にしてみればまるで真逆、最悪もいいところの存在だった。
 あるいは、小鹿にとっての彼女は最善であっても最良の存在ではなかった。
「最後に一つだけ、いいですか」
 ウルファーマーは様々な事実を明かしはしたが、しかし彼女の語ったことが全てではない。
 眼前の魔女は、明確に小鹿に明かすべき情報を選別している。
 小鹿はそう確信する。
 もしも小鹿に対する説明責任を果たすというのであれば、何よりも先に明かすべき事実はあの世界の成り立ちや構造などではなく、小鹿があの世界に呼ばれた理由と原因であるべきだ。
 あの世界の成り立ちも、そのシステムも、本来小鹿には何の関係もないのだから。
 しかし、ウルファーマーは質問されるまでそれを口にはしなかった。
 故に、小鹿は訊かなければならない。
 彼女に説明の責任があり、何でも答えると言うのであれば。
「カリシカは……どうなるんですか」
 その疑問を、恐るべきではなかった。

 そして、世界最高の魔法使い、最善のウルファーマーは答えた。

この世全てに春の花/03:マナの花 エピソード2
「カリシカハッピーハーモニクス」

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