09.狩鹿/カーニバル

【狩鹿】

 白いサンゴ礁を抜けると、そこに村があった。
 道らしい道もない荒地の中に疎らに建っているのは木造の小さな家屋ばかりで、人の気配はまるでない。
「カリシカはここに住んでるの?」
 訪ねると、カリシカは律儀に振り返って小さく頷く。
「家族……とかは」
 僅かに首を傾げ、彼女は困ったような顔をして笑った。
「秘密」
 その答えの意味するところを、僕はすぐに理解した。
 僕もまた、同じだからだ。
「寂しい?」
「何も変わらない」
 即答。
 そう言われてしまえばもう何も言えないな、と僕は苦笑する。
 別にカリシカに見た目どおりの少女らしい弱さを期待したわけではないけれど、何故だか僕は、それがとても残念なことのように思えた。

 そう広くもない集落の中、カリシカの家はその最奥にあった。
 例に漏れず木造で、その小さな外観からはやはり生活感を感じることはできない。
 住居と言うよりも単なる作業小屋のような家屋だ。
 カリシカはその前で一度僕の方を振り返ってから、鍵もついていないそのドアを開いた。
 手招きする彼女に従い、僕もそのドアをくぐる。

 僕の旅が終わる。

 生温かい空気が首筋を撫でた。
 微かに鼻につく異臭は何だろうか。よくわからない。
 外観と同じく木製の壁の至る所に絵の具をぶち撒けたような赤黒い汚れがある。
 内装はやはり住居と言うよりもファンタジーに登場するような木こり小屋を思わせる。
 何に使うのかよくわからない工具が壁に立てかけられているが、中には斧や鉈もあった。
 部屋の奥には、粘着質な汚れに囲まれた調度品がある。
 靴の裏でパキリと何かが折れる音がした。
 思わず床を見下ろすと、黄ばんだ枯れ木のような小石が散らばっている。
 窓のない家の中は薄暗く、一歩奥へと足を踏み入れれば、今度は柔らかい何かを踏んだ感覚。
 僕はもう下を見なかった。
 カリシカが振り返る。明るく長い髪が揺れた。

 ここにあるのは、人の血と、人の肉と、人の骨だ。
 今にも蠢きだしそうな茶色く変色した肉塊。酸化した血液に染められたベッド。
 肉と頭髪と皮膚がこびりついた頭蓋骨の欠片が、まるでゴミクズのように放り出されている。
 部屋の隅にあるのは腐りかけ半ば液体と化した臓物だろうか。
 よく、わからない。
 吐き気に襲われて膝を折った直後、こらえ切れずに胃の中にあった”何か”の肉を嘔吐する。
 床についた手がぬめりとした何かに触れた。もう一度強烈な吐き気に襲われたが、その感触があまりにも不快で、僕は強引に立ち上がった。
 口の端から吐瀉物を垂れ流している僕を、カリシカは何も言わずに見つめている。
「なん、だよ……」
 不思議なほどに、頭も身体も動かなかった。
「これ……」
 ここから逃げ出したいと感じていることすらすぐには自覚できない程に、僕は混乱し、狼狽していた。
 カリシカは、そんな僕の醜態に何の反応も見せない。
 いつも通りに無表情で、いつも通りに無口だ。
 そして、彼女は言う。
「ここにいて」
 彼女は言う。
「ずっと、ここにいて」
 彼女は言う。
「この世界、出し、たら、もう君に会えない」
 彼女は言う。
「どうかこのまま僕とここにいて欲しい」
 僕は答えなくちゃいけない。
「それは……無理、だ」
 当たり前の話だ。最初からそういう約束だ。
 僕は彼女に音楽を貸して、その代わりに、この世界の出口まで案内してもらう。
 そういう、約束だったはずだ。
 音楽を。歌と、詩を。
 カリシカは何かを言おうとした。
 言おうとして、口を開き、けれど言葉は出なかった。
 途切れ途切れの音を繋いだような声だけが、錆び付いた声だけが、響く。
「な、く、し、たく、ない」
 彼女は壁に立てかけられていた斧を手に取った。
 べちゃり、と。何かが落ちる音がした。
 分厚い刃にこびりつくようにして残っていた、それは、肉だ。
「何、を……」
 身体は動かなかった。
「こ、と、ば。い、み。君。ずっと」
 どうにかして後ずさると同時に振り下ろされた斧が、つい先程まで僕の足があった床を砕く様子を、僕はまるで他人事のように見ていた。
 足元が僅かに揺れ、その小さな振動だけでバランスを崩した僕は、転がるように家の外へ出る。
 というよりも、開け放したままのドアの向こうに転がり落ちただけだ。
 身体は言うことを聞かないし、足は動かない。腰が抜けてしまって、立てそうにもない。
 今まで見てきたこの世界の何よりも現実感がなかった。
 彼女がそうすることの、意味も理由も、まるでわからなかった。
 僕を追ってゆっくりと外に出てきたカリシカは、その無骨で巨大な斧の重さを微塵も感じていないようで、その姿には違和感しか無く。
 けれどあるいは、それも彼女の自然体だったのかもしれない。
 生きるために、その刃で肉を砕いてきたのなら。
 それはつまり、殺すためにそいつを振り下ろすことも、同義なのだろうから。

[BGM:タンポポ/スピッツ]


【カーニバル】

 巨大な橋の袂で小鹿と別れたリセルシアは、その後すぐに橋を渡っていた。
 彼がこの世界の原住民と接触した以上、捕食されるのは目に見えている。
 ここに食物となり得るものなど人間以外に存在しないのだ。
 そして”彼女”は、人を喰うことに躊躇などしない。
 何しろ、それはもう文化として、常識として、許容されてしまっている。
 河原一面を骨で埋め尽くしてしまう程度には、この世界の人々は、人間を食ってきたのだから。
 むしろ彼が今まで生かされている理由のほうが、リセルシアにとっては不可解だ。

 一週間前に渡った時とは違い、橋は深く白い霧で包まれていた。
 前も後ろも橋の終点は見えず、自分が今どのくらい歩いてきたのかも判然としない。
 その霧の中、前方から歩いてくる人影があった。
 小柄なそのシルエットを目視したと同時、リセルシアは即座に攻撃するかどうかを迷い、しかしそれをしなかった。
 やがて、その正体が少女であることがわかる程度には互いの距離が近づいた時、リセルシアは初めて口を開いた。
「ここで何をしている?」
 まず目についたのはアイボリーの長い髪と、不釣り合いなヘッドホン。
 どこか眠たげな目が、声の主であるリセルシアに向けられている。
「そうか……。君が”カリシカ”?」
 少女は何も答えない。
 ただ立ち止まり、リセルシアの目をじっと見つめている。
「私はリセルシア。リセルシア・ブルーアシード。魔法技術管理局中央西支部、現象調査室所属の魔術師だ。ここには調査のために滞在している。……意味はわかる?」
 カリシカは首を横に振る。
 それはそうだろう。同じ世界から来た小鹿とは違い、彼女はこの世界に”外”があることすら知らない可能性もある。
「とにかく、私は君を保護したいんだよ。困ったな……私はあまり話すのが得意じゃないんだ」
 嘘ではない。小鹿に対する保護とは意味合いは違えど、リセルシアの職務はこの空間の調査であり、資料の収集だ。
 人工物であるこの世界の原住民。資料的価値で言えば、カリシカの存在は間違いなく最重要である。
「カリシカ、一緒に来てくれないか。橋の向こうにいるバンビ…小鹿も。アイツは元いた場所に連れて帰らなきゃいけないけど」
 その名前に、カリシカは反応する。
「小鹿、を、連れて、い、く、の?」
 途切れ途切れの声は、壊れたスピーカーのようだった。
「君ならわかるだろ? 彼は元々ここの住人じゃない」
 カリシカはまた口を閉ざし、リセルシアは苛立った。
「……お前の”食事”を待つほど、私は気が長くないんだよ」
 リセルシアの眼光が鋭くなる。
「一応、これでも公務員なんだよ。市民を守る義務がある。……”人喰い”の餌にさせるわけにはいかない」
「餌、には、し、ない」
「なら、どうするつもりだった?」
 沈黙。
 カリシカは何かを言いたげに口を開くが、しかし声にはならない。
「手荒なことはしない。ただ一緒に来てくれればいい」
 業を煮やしたリセルシアは、カリシカの手を取ろうと一歩前に踏み出した。
「―――ッ!」
 次の瞬間、轟音と共に吹き上がった水が、側面からリセルシアを襲った。

 その音に対し、リセルシアは視線だけを右側に向ける。
 橋の下を流れる川から吹き上げられた膨大な量の水流がそこにあった。
 高さにして優に五メートルを越えるそれは、単なる水流と言うよりも、水で出来た壁だ。
「現象操作か!」
 即座にカリシカに目を向ける。
 少女は何も変わらず、ただ眠たげな目でリセルシアを見つめていた。
 壮絶な速度で迫り来る水流に対し、リセルシアは魔術”ブルーシード”を行使。
 一瞬にして蒸発した膨大な量の水は水蒸気となり、周囲に爆風が吹き荒れる。
 至近距離で発生したその衝撃はカリシカの小さな身体を吹き飛ばした。
 彼女のポケットからスマートフォンが転げ落ち、接続されていたヘッドホンのケーブルが抜ける。
 同時、スマートフォンのミュージックプレイヤーがスピーカーモードに切り替わり、その場には不似合いなバラードが流れ出す。
 ”ブルーシード”の炎熱を途切れない水流にぶつけながら、リセルシアはその音を聞いた。
 まるで歌詞を削り取られたかのように所々がぶつ切りになった、澄んだ女性の声。
 全く意味を成さない、言葉ですらない音の羅列は、最早単なるノイズに近い。
 直後、勢いを増した水流が、”ブルーシード”の炎熱をリセルシアもろとも飲み込んだ。
 莫大な量の水は、奇妙に統率されたような動きで橋を横断し、眼下の川へと流れ出す。
 後に残ったのは、水に濡れた橋と、緩慢な動作でスマートフォンを拾い上げるカリシカ。
 それだけだった。

このエントリーをはてなブックマークに追加