08.ファーストフロストガーデン/髑髏ヶ原

【ファーストフロストガーデン】

 僕たちは橋を渡る。
 対岸は白い霧に覆われていて、この橋がどこまで続いているのかも定かではない。
 カリシカは何も言わなかった。だから僕も何も言わなかった。
 橋の袂で出会った女性、リセルシアはどうしただろうか。
 もしかしたら、僕たちより先にこの橋を渡っていったのかもしれないけれど、それを知る術は僕にはない。
 そんなことをぼんやりと考えながら、僕らは黙って橋を歩き続けた。

 半日ほどかけて、僕たちはその橋を渡り終えた。
 対岸は白い霧に覆われていて、視界は10メートルもないような気がした。
 地面もまた同じように白く、しかし砂でも土でもない。いつか写真で見たサンゴ礁のようだった。
 枯れ木のようで石のような、純白のそれが何なのかは全くわからない。
 歩く度に靴底でそれが砕かれる乾いた音は心地よく、まるで霜柱を踏み歩いているような感覚を味わった。
 そんな僕に構わず、カリシカは黙々と先へ歩いて行く。
「なあ、カリシカ。これからどこに行くんだ?」
 何となしに訊ねてみると、彼女はゆっくりと振り返り、しばらく考えるような素振りを見せた。
「家だよ」
 そして一言、そう返す。
「それって、カリシカの?」
 彼女は小さく頷いてから、
「大丈夫、だよ。分かってる」
 わずかに笑い、また歩き出す。
 その言葉の意味をすぐに理解することが出来ず、僕は少しだけ戸惑う。
「ああ、そっか」
 僕の目的地は彼女の家ではなく、この世界の外だ。
 だからきっと、それは少しの寄り道のつもりなのだろう。
 そういう意味の「大丈夫」だろう。
 そう納得して、僕は彼女の後を追った。

[BGM:リバーズエッジ/GOING UNDER GROUND]


【髑髏ヶ原】

 リセルシア・ブルーアシードがその純白の庭に訪れたのは、小鹿よりもちょうど一週間前。彼がこの世界に訪れる2日前のことだ。
 その日は霧が出ておらず、巨大な橋からは、その純白と小さな集落までがよく見えた。
 僅かに十数棟ほどの住居しか見られない集落からは遠目に見ても生活感がまるで感じられず、彼女は特に警戒せずに橋を渡り、サンゴ礁のようなその場所に立ったのだ。
 そうして、石のような、枯れ木のような、地面に敷き詰められたそれを間近に目にした時、彼女は初めて、この世界の異常性を認識するに至った。
 無論、彼女は最初からこの世界が正常であると思っていない。
 何らかの目的のために作られた異世界である以上、ここには現実では実現不可能な何かが無くてはならないし、異常であるべきなのだ。
 この時彼女が感じた異常性とは、そういった”非現実性”とは全く別種のものだ。
 即ち、狂気である。
 その白い大地。一面に広がるサンゴ礁にも似たそれは、砕かれた人骨だった。
「……そんな馬鹿な話が、あるかよ」
 どれだけの数が埋まっているかは未知数だが、軽く見積もってもその数は数百人分はあるだろう。
 乾いた笑みを浮かべつつ、手近な骨を拾い上げる。
 通常、人間が死んでから白骨化するまでにかかる時間は周囲の環境によって異なる。
 この世界ではどうか知らないが、最低でも一週間。長ければ一年、あるいは数年かかることも珍しくはない。
「いや……そういう問題でもないかな」
 集落へ向かう予定を変更して道を逸れ、堆積した白骨を少しばかり足で掘ってみるが、その下には更に細かく砕かれた人骨が埋まっているだけだ。
 しかし、それは表層のものよりも随分と古い。
「墓を作る文化が無かったのか……?」
 違うと直感していても、そうであればいいという期待は拭えなかった。
 何故なら、この人骨の数は集落の規模とはまるで数が合わない。

 もう少し深い層を調べようと、彼女は左手を地面に向け、何の迷いもなく魔術を行使した。
 リセルシアの保有する魔術は、今のところレベッカから借り受けた空間魔術と、本来彼女が所有しているものだけだ。
 彼女が選んだのは、その本来所有している方の魔術だった。
 魔術”ブルーシード”
 固有の名前を持つそれは、リセルシア個人のために様々な調整がなされた固有の魔術である。
 属性色は黄色。自然界に存在する現象を行使する属性だ。
 よく誤解されるが、彼女は青色の魔術、即ち生物に干渉するタイプの魔術を使わない。
 魔術”ブルーシード”が操るのは、 熱量である。
 もちろん出力は無限ではないし、様々な制限があるが、有り体に言ってしまえばリセルシアは炎熱の魔術師だ。
 その性質は完全な攻撃型であり、繊細な調査活動には全く使えない代物だった。

 僅かに空気が揺らめき、次の瞬間、爆音と共に足元の白骨が炎に包まれながら弾け飛んだ。
 砕かれた骨片が砂埃のように舞い散るが、直後に巻き起こった突風によってすぐに視界がクリアになる。
 それもまた熱を操る魔術の効果だった。
 そうして出来上がった深さ1メートル程度の穴の底は土の地肌が剥き出しになっており、白骨の層は僅かに数十センチメートル程度しかないことがわかる。
 最も深い層は骨というよりも砂だ。原型を留めているのは比較的浅い層だけだった。
「なんだ、あんまり張り切る必要もなかったな」
 結局、リセルシアは自分で開けた穴を放置して、広く浅い層の人骨を調べることにした。

 人骨から得られる情報は多い。
 その気になれば人種も年齢も性別も割り出せるだろうし、環境次第では個人を特定することも可能だ。
 もちろん、今この場にはそんな専門的な機材は無いし、リセルシアは専門家でもない。
 せいぜい、ある程度原形を残した骨格から元の人種を予測するのが関の山だ。
 その結果わかったことは二つだけで、一つは最も新しい表層の人骨には何ら共通点が無いということだった。
 つまり、この世界の原住民のものではない。何しろ人種がバラバラだ。
 逆に言えば、古い層の人骨は皆一様に同種だと推測できた。
 そしてもう一つは、
「……明らかに、食われた跡がある」
 この場所は墓所などではない。
 単なるゴミ捨て場。それも食料として消費された後の生ゴミの。

 かつて人間が存在していた痕跡だけが残る、今はもう生物の存在しない世界。
 しかし異質な環境だけは維持され続け、今もなお稼働している人工的空間。
 侵入する術は無く、しかし何の予兆もなく唐突に取り込まれた自身。
 食われて棄てられた人骨の山。
 いくつかの事実によって立てられる推論は、およそ常軌を逸している。

「”共食い”を許容したのか、この世界は……!」

 この世界は狂っている。
 そして、終わっている。
 例え人造物だとしても、こんな世界はあってはならない。
 否、人造物であるからこそ、この環境は出来上がったのだ。
 この世界を作り上げ、管理していた何者かは、この世界の住人が自給自足できる環境を用意しなかった。
 用意されたのは、過剰なエーテルと、それによって形成される異質な自然環境だけだ。
 ならば、ここで集落を形成していた人々はどうやって生きていたのか。
 決まっている。この世界に食料が存在しない以上、それは外部から供給されていたのだ。
 檻の中の獣に餌を与えるように。
 故に、管理者が存在しない今、この世界は人間が生きていけるようにはできていない。
 外部から食料が供給されず、内部に食料となる動植物は存在しない。
 そんな世界で人々が生き長らえようとするならば、行き着く結論は一つだ。
 人が人を喰うことで生き伸びる世界。
 当然、そんなものは長続きしない。
 この世界の住人は一人残らず絶滅しているはずだ。
 絶滅していなければならない。
 人間を食料として消費する文化を許容した人類など、存在するべきではない。
「そいつは……いや、そいつも、期待だな」
 リセルシアは苦笑する。
 管理者が存在しない今でもこの世界は環境を維持し続けている。
 それだけではない。本来外部から干渉できないはずのこの空間は、しかしリセルシアを招き入れた。
 この世界の真実が彼女の想像のとおりならば、その意味もまた一つしかない。
「冗談じゃない」
 吐き捨てるように呟き、リセルシアは集落を目指して歩き出す。
「まったく……冗談じゃない」
 人骨を踏み砕きながら、しかし彼女はもうそんなことを一切気に留めてはいなかった。
 どんなに清く生きようと、どんなに醜く生きようと、人は死ぬ時は死ぬし、死ねばゴミと変わらない。
 他人の死について、リセルシアは極めて鈍感な人間だった。
 そんなものはありふれている。少なくとも、彼女の周囲には。
 彼女にとって重要なのは、その死がありふれた環境の中でいかに生き延びるかという、ただそれだけだ。
「”燃やせば燃える”ゴミにはならないぞ、私は」
 他人の死には鈍感だが、自分の死には極めて敏感な魔術師。
 魔法技術管理局において最も生存能力が高い”人間”、リセルシア・ブルーアシードの本質はそこにある。

 故に、”己が食料として招き入れられた”という現状は、彼女にとっては最悪もいいところだった。

 そうだ。この世界は狂っている。

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