07.リバーサイドリバースブリッジ

【リバーサイドリバースブリッジ】

 対岸が見えない程の大きな川に、巨大な橋がかかっている。
 彼女は僕に、ここで待っているようにとだけ言い残し、一人先に橋を渡っていった。
 僕はその橋の袂に座り込み、カリシカを待っている。
 彼女が先に行った理由はよくわからないけれど、考え無しに着いて行くよりは、その言葉に従った方が安全だと、僕はそう思ったのだ。
 僕はこの世界のことを何も知りはしないのだから、この場合、カリシカの方が正しいに決まっている。
 正直に言えば、一人この場に取り残されることは不安だった。
「そこで何をしている」
 だから、全く予想もしていなかった他人の声が聞こえた時、僕は酷く驚いたし、同時に、少しだけ安心したんだ。
 何も答えられないまま反射的に顔を上げると、目の前に女性が立っていた。
「……言葉は通じるか?」
「あ……わかる、けど」
 やっとのことで出した声に、女性はそうか、と短く答える。
 しばらくの沈黙の間、彼女は僕のことを観察しているように見えた。
「君はここの住人というわけではなさそうだが、何か名前と身分を証明できるものは?」
「え? どうして……」
「この世界には学校なんて無いだろう、少年」
 言われて、自分が制服を着ていることに気づく。
 そりゃそうだ。何しろ僕は、学校に行くために家を出たはずなのだから。
「名前は、小鹿。小鹿、誉晴。身分証明って…これでいいですか」
 僕は立ち上がりながら制服の内ポケットに入れっぱなしにしていた生徒手帳を引っ張り出し、女性に手渡す。
 彼女はそこに記された情報を鋭い目で睨みつけるように確認しつつ、
「コジカ…いや、コシカタカハル、ね。君、あだ名は”バンビ”だろう」
 よくわからないことを言った。……悔しいことに、その予想は的中している。
 短い礼とともに生徒手帳を返してもらい、その時になってようやく、僕は落ち着きを取り戻し始めた。
「そういうアンタは」
「魔法技術管理局中央西支部、所属は現象調査室。リセルシア・ブルーアシード」
 僕の質問を遮るようにしてリセルシアと名乗った女性は続ける。
「少し事情を聞かせてもらいたい。調査任務中の管理局員には…えーと、何だったかな。……とにかく”ある程度”の権力がある」
「はあ……?」
「ああ、うん。済まない。私は人と話すのが得意じゃないんだ。噛み砕いて言えば、そうだな」
 一息。
「君は素直に質問に答えてくれればいい。まぁ答えなくてもいいけど、その場合は質問がより”わかりやすく”なる」
「それってどういう」
「痛いのは嫌だろ?」
 ……ことですか、という、僕の言葉はまたも遮られた。
 どうにもせっかちな性格であるらしいが、それ以前の第一印象として、怪しく、恐ろしい人だと思った。
 当たり前だ。初対面で暗に拷問をチラつかせるような人間がロクな奴であるわけがない。

 結局、僕はこれまでに起きた出来事を、可能な限り素直に話した。
 何しろ、痛いのは嫌だ。
「確認するが、君はこの世界の原住民……カリシカとコンタクトを取ったんだな?」
「現住民かどうかは……知りませんけど、多分」
 そういえば、僕はカリシカのことを何も知らない。
 そんなことに、今更気づいた。
「危害を加えられたわけでは、なさそうだが」
「そりゃまあ。親切にしてくれましたよ。ここから出る方法も教えるって」
 リセルシアは僅かに顔をしかめ、
「……本当に、そうか?」
 吐き捨てるように、そう言った。
 その目は、巨大な橋の、その向こう側を睨みつけている。
「バンビ、これも君の自由だが」
 そう前置きし、
「君はこの橋を渡らない方がいい」
「はあ……。どうしてですか」
「君は知らないんだろ? この世界が何なのかも、この先に何があるのかも、”カリシカ”とかいう人間の正体も」
「リセルシア……さん、は知ってるんですか?」
「はっ、知るもんか。だからそれを調べてるんじゃないか」
 嘘だと直感した。いくら何でもそのくらいはわかる。
 そんな僕の心を見透かしてか、彼女は苦笑した。
「怒るなよバンビ。私にはどこまで話していいのか判断できないんだ。その判断が出来たら、その時はちゃんと教える」
 リセルシアは軽く左腕を振った。
 ざらり、と。鎖を模した腕輪が鳴る。
「まぁ、どうするかは君の自由だ」
 言って、彼女は橋へと歩き出した。
 僕はその時、リセルシアに着いていくべきか、ここでカリシカを待つべきか、少しだけ迷った。

 少しだけ迷って。
 僕はここに残った。
 リセルシアは橋を渡り、対岸を目指したようだった。
 もしかしたら、どこかでカリシカと出くわすかもしれない。
 それが何故だか不安だった。
 僕は何も知らないのだ。リセルシアの言うことも、カリシカのことも。
 ……だったらどっちを信じるかなんて、決まっている。

 やがて、橋の向こうにカリシカの姿を見つけた時、僕は安堵した。
 どうやらリセルシアと出くわすことはなかったらしい。
「行こう」
 短く、けれどはっきりと彼女は言い、僕は頷く。

 そして、僕らは橋を渡り。

[BGM:FREE STAR/ACIDMAN]