06.ニアエア/ルナルナ

【ニアエア】

 煌く空気と透明な感覚。
 僕たちは空をとぶ。
 天球の夜空に静止する流星があった。
 止まり、流れる、青い星だ。
 それでも彼女は、まるで当たり前のようにその煌きの間を泳ぐものだから。
 僕もまた、当たり前のようにその幻想の中を進むしかなかったのだ。

 エメラルドの丘を越えるには数日の時間を要した。
 その終着点は切り立った崖になっていて、僕は迂回路か橋か、そういうものを探した。
 探したはずだ。
 次に気づいた時、僕らは上も下もない光の奔流の中にいて、僕の意識は、どうしようもない程に朦朧としていた。
 酩酊、とも言える。
 時間の感覚も、空間の感覚も、現実の感覚も、何もかもがごちゃまぜになってしまって、ただ、前を行くカリシカの背中だけは、確かに見えていた。
「誰かがベルを鳴らす。そうだよ、わかるだろ」
 カリシカは、ため息のような小さな声で、歌を口ずさんでいた。
「それ、なんて曲だっけ」
「惑星のかけら」
「そういう曲、好きかい?」
「素敵、だね」
「なら、良かった」
 今僕がどこにいて何をしているのか、まるでわからなかった。
 きっと宇宙遊泳ってのはこんな感じなのかもしれない。
 重力なんて煩わしいものはなくて、手を伸ばすだけで掴めるんじゃないかと思える程の距離に、サイケデリックにキラキラと輝く星の光がある。
 どこまでも行ける気がした。
 僕たちは、本当に、このままどこまででも行ける気がしたのだ。

 文字通り夢のような時間だった。
 その時、僕とカリシカの身に何が起こり、そして、僕らが何を体験したのかは、はっきりとはわからない。
 ただ僕たちは、その時確かに、星のような輝きに包まれて宙を舞った。
 そして今、僕の目の前には巨大な橋がある。
 振り向けば、まるで陽炎のようにゆらめく空気の先に、深く広い谷があった。
「気をつけて」
 カリシカが言い、僕は眼前に立つ彼女を見る。
「なあ、カリシカ。さっきの、あの……よくわからないんだけど、とにかく、今の、何だったんだ?」
 彼女は少しだけ考えるような素振りを見せ、
「知らない」
 一言、それだけを答えた。
「そっか。……そりゃあ、そうか」
 僕は苦笑する。
 多くを語らないカリシカが、それでもはっきりと知らないと言ったのなら、それはもう、明確にわからないのだろう。
 ”それはそういうもの”なのだ。
 例えば、僕は地球に重力が存在する理由を知らない。星が輝く理由を知らない。
 それと同じことなんだ。彼女にとっては。

[BGM:惑星のかけら/スピッツ]


【ルナルナ】

 エメラルドの丘の果ての谷。煌めく大気で満ちたその奥底には、明らかな人工物が存在した。
 全長数十メートルにも及ぶ巨大な排気口のようなそれは、宙に浮かぶリセルシアの真下で、轟々と風を吐き出し続けている。
「エーテルリアクター……。なるほど、こいつがこの世界の核か」
 あらゆる”意味”をエネルギーに変える、魔術のエンジンとも言える機構。それがエーテルリアクターだ。
 本来、エーテルリアクターを搭載した魔術は、存在自体が稀だ。
 現存する魔術の大多数はエーテル結晶を動力として利用している。
 無論、エーテルリアクターを搭載した魔術も無いわけではない。
 現に第三次魔女革命における最終兵器、俗に”アリヤ・バレル”と呼ばれる魔術は、エーテルリアクターを搭載することで人類史上最大とも言える大火力を実現させたが、それは単に”アリヤ・バレル”を稼働させるに足る出力を持ったエーテル結晶が存在しなかっただけの話である。
 結果的に、”アリヤ・バレル”は莫大な火力を得た反面、それ以外のあらゆる面で既存の魔術に劣っている。

 閑話休題。
 リセルシアの足元にあるエーテルリアクターは稼動状態にあった。
 しかし、それだけだ。ここで生み出されたエーテルを動力にする魔術がどこにも存在しない。
 排出されたエーテルは大気と入り交じり、人体程度ならば容易く浮遊させる程の風として地表まで噴き出している。
 エーテルは単なるエネルギーであり、本来それ自体が何らかの特性を持つことは無い。
「けど、こうも密度があるとどうだかわからないな」
 呟いたリセルシアの視界のそこかしこに、まるで火花のように弾けて輝くエーテルがある。
 物質的特性を有した”意味”であるエーテルは圧縮すればエーテル結晶となるが、この谷に溜まったエーテルは、結晶化するほどの密度こそ無いものの、限りなく物質に近い状態であることに変わりはない。
 場合によっては人体に何らかの影響を与えるだろう。
 とは言え、だからと言ってこのエーテルリアクターを止めるわけにはいかない。
 この世界を維持している魔術がどこにあるかわからない以上、まずはそれを探して構造を知る必要がる。
「……多分、このリアクターが吐き出すエーテルが充満してるんだ、この世界は」
 この世界は、明確な果てが存在する閉じた空間である。
 無限にエーテルを生み出し続けるリアクターが稼働し続ければ、その内空間がエーテルで満たされるのも道理だ。
 結果として飽和したエーテルは結晶化し、刃にも似た結晶が乱立する、あの平原のような場所が出来上がる。
「それはそれでどうだっていいんだけど……。これを調べるのは、ちょっと骨が折れるなあ」
 リセルシアが実際に見たことのあるエーテルリアクターは、最大でも全長5メートル程度のサイズだ。
 それでも魔法技術管理局中央西支部が保有する最大のリアクターなのだが、今足元にあるものは、その優に10倍はありそうだった。

 リセルシアがその全容を調査し終えるまでには、実にまる二日を要した。

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