02.ドア/ソーサリーアクト

【ドア】

 そこは、上下左右ところ構わずドアの設置された、真っ白な空間だった。
 その光景にしばし呆然とし、慌てて今しがた出てきたばかりのドアへ踵を返すが、ドアの向こうには全く同じ空間が広がっているだけだ。
 それはさながら、「ドラえもん」に登場する「どこでもドア」だった。
 問題は、そのドアがどこにも続いていないことだ。
 ただ真っ白な空間の中に、フレームごと切り取ってそのまま放置されたかのような形で、ドアだけが立っている。
 僕は困惑した。
 そりゃそうだ。家を一歩出たらこんな空間が広がっていて、戸惑わないほうがどうかしている。
 今くぐったばかりのドアに入ってみたものの、案の定景色は何一つ変わらなかった。
 二往復程同じ動作を繰り返し、ようやく僕は現状を認識する。
 何が起きているのか全く理解が及ばないという、その現状を。
「マジかよ……」
 ため息混じりに呟いてはみたものの、それで何が変わるわけでもない。
 途方に暮れて周囲の風景を観察してみるが、この空間の広さは全くわからなかった。
 影一つない純白の床はもしかしたらどこかで壁に変わっているのかもしれないが、その境界線が全く見えない。
 遭難した時はその場を動かずに助けを待った方がいいという話を聞いたことがある。
 この状況を果たして遭難と言っていいのかはわからないが、少なくとも屋外でないことは確かだ。
 どうやら、救助は期待できそうもない。
 いや、そういう理屈はどうでもよくて、僕はとにかくこの場所から出たいのだ。
 周囲に存在するのは、多種多様なドア、ドア、ドア……。
 この中に、もしかしたら外へと繋がっているものがあるかもしれない。
 あわよくば家に帰ることもできるだろう。
 もう一度小さくため息を吐いてから、僕は手近なドアを目指して歩き始めた。

「全部ハズレじゃねーかよ!!」
 誰もいないのをいい事に思い切り叫んでみても、もちろん何が変わるわけでもない。
 手の届く範囲にあるドアは全部が全部、単なるオブジェだった。
 どこにも出られないし、どこにも入れない。
 その場に座り込み闇雲に地面を叩いてみるが、真っ白な床はプラスチックのように無機質で、鈍く光を反射するものの、冷たさは感じない。
 ああ、そうさ。どうしてこんなことになったのか心当たりが無い以上、自分に出来ることなんて最初から何もなくて、だったら当然、打開策なんて無かったんだ。

 僕は俯き、首から提げていたヘッドホンを耳にかけ直した。
 ポケットからスマートフォンを取り出し、画面の隅にある「圏外」の二文字をあえて無視してミュージックプレイヤーを起動する。
 ピアノとアコースティックギターのイントロが始まり、そうして、この世界に詩と歌が生まれた。
 僕は音楽が好きだった。
 好きだったんだ。

 ふと顔を上げると、目の前にひとりの少女が立っていた。


【ソーサリーアクト】

 魔術師は魔術を行使する。
 魔術。即ち魔法技術は、本来魔法使いにのみ与えられた特権に等しい”魔法”という奇跡を科学によって再現する技術だ。
 故に正しい知識さえあればどんな人間にも扱うことが出来るし、魔法技術管理局内においては魔術師ではない人間を探す方が難しいとさえ言われている。
 リセルシアの所属する現象調査室においてもそれは同様で、魔術師など珍しくも何ともない。
 しかし、現象調査室における彼女の立場はやや特殊だった。
 そもそもリセルシアは、魔法技術管理局の保有する戦力の中核である”機動室”より転籍してきた魔術師だ。
 当時14歳という年齢から第三次魔女革命では実戦を経験していないものの、後の聖域崩壊事件では機動室の一員として前線にも出ている。
 故に、その能力は突出している。
 それは現象調査室内に限る話ではなく、リセルシアの局地における生存能力は、管理局内では人外の怪物ブリュンヒルト・ドゥベルシュガーに次ぐと言われていた。
 悪辣な環境下でのフィールドワークが多い現象調査室の職務は、彼女にとってはおよそ最適なものだ。
 その才能は、例えば異世界という究極の局地においても発揮される。

 その空間の調査を命じられた際、リセルシアが開発室より借り受けたのは、「レベッカ」の70番台と呼ばれる魔術一式だった。
 管理局において開発される魔術の名前は、原則、開発者の名前と固有のナンバーのセットである。
 例えば「レベッカ70」は、”開発室のリトルモンスター”などと揶揄される開発主任、レベッカ・大月の70作目の魔術ということになる。
 リセルシアの所属する魔法技術管理局・中央西支部は、国内の管理局支部の中でも開発室が主体となっていた魔術の開発・研究施設が前身であり、所有する魔術の数もまた多い。
 とは言え、個人で百以上の魔術を開発しているレベッカ・大月は規格外もいいところの天才だ。
 「レベッカ」の70番台は、空間操作に関する魔術の中でも比較的小型で持ち運びが簡単なアクセサリーを模ったもので構成されており、反面、出力が小さく応用が効かない。
 見渡す限り純白の中にドアが乱立するその空間に足を踏み入れたリセルシアは、迷いなく魔術「レベッカ74」を使った。
 その効果は空間認識能力の拡張。魔法で言えば生体干渉に属するものだ。
 結果、彼女はこの空間が有限であり、単なる物理的密室であることを把握した。
 つまり、この部屋の外には別の空間が存在しており、それらは連続性を持つということだ。
「ああ、気分が悪い」
 誰にともなく呟く。
 魔術によって知覚が拡張されれば、入力された情報を処理する脳にも負担がかかる。
 「レベッカ74」には、その処理能力を強化する効果も含まれるため、それ自体は問題ない。
 しかし、本来の知覚では認識できない情報を理解するという行為そのものが、生体干渉の魔術に慣れていないリセルシアにとっては大きなストレスだった。
 見渡す限りの白という情景も相まって、僅かに吐き気すら催す。
「魔術というのはもっと……わかりやすくあるべきだ」
 気を紛らわせるための独り言を続けながら、「レベッカ76」を起動。
「何ていうか……派手じゃなくてもいいから……目に見えるのがいい」
 その言葉のとおり、リセルシアの視界がじわりと歪む。
 次の瞬間、彼女の前には今までと全く異なる風景が現れていた。
 「レベッカ76」の効果は空間の置換。自身を含む部屋の内側の空間と外界とを入れ替え、彼女は外に出たのだ。

 そうして、リセルシアはその空間の内部に侵入した。
 彼女に与えられた仕事は、この世界そのものの調査だ。
 指示が漠然としすぎているせいで一体何をすればいいのか判断に迷いはするものの、ひとまず彼女が最初に行ったのは、今しがた入れ替えた空間を元に戻すことだった。

 もしもリセルシアが密室から出る術を持っていなければ、もしも彼と同じようにあの部屋からの脱出を諦めていれば、あるいは彼女は、この世界の本質をすぐにでも知ることが出来たはずだ。
 そしてそうなっていれば、後に彼がこの世界に取り込まれることも、おそらくなかっただろう。
 しかし現実はそうならなかった。

 リセルシアがその少女に出会うのは、実に二週間後のことである。