01.プレ/リセルシア

【プレ】

午前7時20分:
ベッドから這い出し、携帯のアラームを止める。
重い足取りでキッチンに向かい、水を入れたヤカンを火にかける。

午前7時32分:
顔を洗い、沸かしたお湯でインスタントのコーヒーを淹れる。
トースターに食パンを放り込み、朝食の準備をする。

午前7時36分:
大して興味もない芸能ニュースを眺めながらトーストを食べる。
天気予報は曇り。

午前7時47分:
歯を磨き、服を着替え、学校へ行く準備をする。

午前8時:
ドアを開ける。

午前8時1分:
僕は、見たこともない世界に来てしまった。


【リセルシア】

 彼女、リセルシア・ブルーアシードは、その空間に関する情報を特に知らされてはいなかった。
 それは決して彼女の属する組織、即ち魔法技術管理局・現象調査室に落ち度があったわけではなく、ごく単純な問題として、その空間に関するあらゆる情報が消失して久しいことを意味する。
 欧州から中央アジア、最終的には極東にまで戦域を広げた人類史上初の異種族間戦争、第三次魔女革命が終結したのは今を遡ること5年前の話で、更にその後、魔法使いによって占拠されていた城塞都市、通称”聖域”が文字通り崩壊したのが2年前。
 ”聖域”で開発・運用されていた魔術、即ち魔法技術は、その大半が聖域崩壊の混乱の中で行方知れずとなっており、魔法技術管理局・現象調査室は、そういった組織の管理下に置かれていない魔術の捜索と調査、回収を職務の一つとして遂行している。

 その空間が存在することは聖域崩壊後の調査によって確認されていた。
 しかし、そもそも物理的に連続していない、ある種独立した世界とも言えるその空間への侵入は、少なくとも現代の人間の技術レベルでは不可能であり、結果、それが作られた目的はおろか、規模も、内部構造も、何一つ情報を得ることは出来なかった。
 魔術によって形成された人工的な異世界。それが、その空間に対するリセルシアの認識の全てである。

 高度に体系化された現代の魔法において、空間操作自体は特別珍しいカテゴリではない。
 現に、リセルシアは「空間の圧縮と拡張」という属性を持った魔法使いを知っているし、その魔法によって引き起こされた事件も知っている。
 しかし、物理的連続性を持たない一己の世界とは、端的に言えば異世界である。そうなると話は別だ。
 そもそも”魔法”とは、世界に存在する物質や現象が保有する”意味の集合体”である「マナ」を、物理的特性を有したエネルギー「エーテル」に変換する際の副産物として発現する現象全般を指す。
 より具体的には、意味と物質の中間とも言えるエネルギー「エーテル」の指向性を定義する法則、それが魔法だ。
 ”魔法使い”とは、このエネルギー変換を行う器官を体内に有する生物を指し、”魔術”は、同様の働きを持つ機構を有した技術全般を指す。
 魔法によって引き起こされる奇跡は荒唐無稽ではあるものの、魔法使い本人が定める法則の枠を出ることはない。
 そして、魔法使いがこの世界で生きている生物である以上、空間的に繋がっていない異世界を認識することは不可能だ。
 如何に魔法と言えど、認識出来ない異世界に影響を与えることは出来ない。
 わかりやすく言ってしまえば、見えも触れもしない箱の蓋を開けるようなものである。

 ”見えも触れもしない箱”であるその空間を開く方法は存在しない。それは紛れもない事実である。
 しかし、それは決してその空間への侵入が不可能であることと同義ではない。
 本来、見えも触れも入れもしない異世界など、存在すること自体が無意味である。
 逆説、それが存在するのであれば、そこには何らかの意味があるはずなのだ。
 故に、もし侵入が不可能であったとしても、最低限、それを観測する方法は存在していなければならない。

 しかし、その方法がわからない以上。
 彼女がその空間への侵入に成功したことは、全くの偶然だった。

 一週間後の午前8時1分、同じようにしてその空間に足を踏み入れた彼、小鹿タカハルもまた同様だ。

 リセルシア・ブルーアシードは、魔術師である。

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