かつて、僕たちは同僚だった。

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは一切関係ありません。

一年ぶりに吉谷君から電話があった。
仕事を終えた後、池袋の駅でのことである。
彼からかかってくる電話の要件は、いつも「飲むぞ」か「遊ぶぞ」のどちらかしかなく、元来そういったコミュニケーションの苦手な僕は、彼からかかってくる電話を恐れさえしていた。
そうは言っても、かかってきた電話を無視するわけにもいかない。
「お前今暇?飲もうぜ」と吉谷君は言った。
溶け残った雪が枕木の隙間で凍っていた。

吉谷くんは以前僕の勤めていた会社の同僚だ。
歳は二十代半ば。職種は編集スタッフの一人。
制作関係の専門学校を卒業後、就職浪人を経て制作会社に入社してきた新人だった。
僕とは歳も近く、お互い喫煙者ということもあって、それなりに仲良くやっていたつもりだ。

吉谷君は、元々不良だったそうだ。
歌舞伎町のどこそこの店の店長とダチだだの、ナントカというヤクザとつるんでいただの、そんな話を何度も聞かされた記憶がある。
「俺が声かけて人集めれば部長の家くらい更地にできるぜ」みたいなことをいつも嘯いていた。
そんな吉谷君だが、吉谷君は吉谷くんなりに「真っ当な社会人」をやっていた。毎日地味な服で出社し、先輩には敬語を使い、上司には頭を下げ、裏では部長をボコボコにする計画を愚痴り、そういう普通のサラリーマンをやっていたのだ。

だが、仕事について彼は無能だった。
努力はしていたし、必死でもあった。しかし、彼は無能だった。壊滅的なまでに仕事ができなかった。
一度、プロの作家も参加するという読書会に誘われたことがある。
吉谷君は、学生時代のツテからそういったイベントの情報を仕入れては積極的に参加していた。
僕に声がかかったのは、ちょうど桜庭一樹の「私の男」が直木賞を受賞した直後のことで、読書会で読む本もそれだと聞き、僕は二つ返事で了承したのだ。
僕は桜庭一樹が特別好きなわけではなかったし、「私の男」という作品を読んだこともない。ただ学生時代に「GOSICK」と「推定少女」を読んだことがあるだけだった。
(「推定少女」に至っては、高野音彦の表紙がきれいだったから購入したに過ぎない。)

結論から言えば、その読書会は心底つまらないイベントだった。
読書会の後、吉谷君は作家先生や友人らと飲みに行くことにしたらしく、僕も声をかけられはしたが、夕方のガンダムを見たかったので丁重にお断りし、帰路についたのだった。

翌日、吉谷君は会社を休んだ。
飲み会の席でノロウィルスをもらったらしく、2、3日は動けないだろう、というような内容のメールが来た。
その日の夕刻、吉谷君は会社をクビになった。
社長直々の命令だったらしい。ブラック企業にはありがちな話だ。

以来、吉谷君とは一度も会っていなかった。
その少し後、僕は会社を辞めてしまって、吉谷君のことなど完全に忘れていたのだ。
江古田の駅前で再会した吉谷君は、何だかよくわからない格好をしていた。
それが流行のファッションなのか、吉谷君独自のセンスなのかはわからない。ただ、とにかく不思議な格好だった。
挨拶もそこそこ、彼の行きつけだと言うバーに向かった。
僕はそこで、生まれて初めて葉巻というものを吸い、よくわからないままに美味い酒を飲んだ。
吉谷君は今、強制執行のアルバイトをしているらしく、不定期だが給料が良く、体も鍛えられるから得だと笑った。
そして、やっぱり編集者になりたい。あんな糞みたいな会社じゃないところで、ちゃんと編集をやりたい。何度もそういう意味合いの台詞を口にしては、自分の何がダメだったのかを僕に訊ねた。
僕はその度に、編集の仕事をWEB屋の俺に聞くなと答えた。

それから、僕は吉谷君に引きずられてキャバクラとスナックを梯子した。
バーを出た時点で、吉谷君は既に真っ直ぐ歩けないほど酔っぱらっていた。
2軒目から、僕は彼の許可を取り、彼の財布から全ての支払いを済ませた。
吉谷君は朝まで飲み歩くつもりだったようだが、僕は翌日も仕事があったし、眠くて仕方なかったので、タクシーに吉谷君を放り込み、自宅の住所を聞き出して送り届けた。
道中、吉谷君は運転手にケチをつけまくり、運転席を蹴りまくり、最後は代金を1メーター分値切ってから帰っていった。

僕はそのまま自宅のすぐ近くまで行ってもらい、運転手に一度謝罪をして、五千円札で代金を支払い、お釣りは断った。吉谷君の踏み倒した1メーター分の代金に缶コーヒーの1本でも買えば、ちょうどそのくらいだったのだ。

次の日の夜、吉谷君からまた電話があった。
昨日借りた一万円を返すと言われたので、僕らは池袋駅で会い、僕は貸した覚えのない一万円札を受け取り、そのまま帰ってきた。

かつて、僕たちは同僚だった。
今はもう他人だ。

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