あなたがそうであるように

「君がそうであるように、誰かもまたそうなんだろうな」

 5年ぶりに会ったヒナタさんはそんなことを言っていた。
 春のような陽気が煩わしい週末の、次の日のことだった。

 その時、僕はアパートのベランダでぼんやりと煙草を吸っていた。
 ヒナタさんは何をするでもなく水槽の中のシルバーシャークを眺めていて、僕はつい先日ブログに書いたような、ラブソングが聴けないという話をしたのだった。

 ヒナタさんに最後に会ったのは、確か5年前。四谷見附の交差点だったはずだ。
 僕はまだ21歳で、彼女の髪はまだ短かった。

「君がそうであるように、誰かもまた、そうじゃないかもしれない」
 水槽のシルバーシャークから目をはなさず、ヒナタさんはそう続けた。
 両手で包み込むようにして持ったマグカップから漏れ出た湯気が、水槽のガラスをほんの少しだけ曇らせていた。
「要するに、どうでもいい話じゃないか」
 僕の視線の先には幾本かの電線があって、そこに十数羽ほどか、スズメがとまっている。
 その鳴き声が妙に耳についた。
「私事に属する。……そういえば、そんな話はいつかしたかな」
 ヒナタさんは水槽から視線を左にずらした。
 その先には大小いくつかのフィギュアが並んだ棚があって、彼女はマグカップを水槽の上に置いてから、一番手前にあった初音ミクのフィギュアを手に取った。
 もしかして僕の話は退屈だっただろうか。
 率直にそう訊ねると、ヒナタさんは僅かにニヤリと笑い、
「それもどうでもいいじゃないか」
 そう返したのだった。
 それもまた私事に属することのなのだろうけれど、だとしても、僕の話に退屈しているのであれば、それは僕にとってどうでもいい話ではない。
「君は恥ずかしいことを言うようになった」
 ヒナタさんは笑った。
 僕は随分と短くなった煙草を灰皿に押しつけ、二本目に火をつけた。

 5年もあれば、色々変わる。
 僕はそういう人間になり、ヒナタさんの髪は伸びた。
「変わらないものも、中にはある」
 5年前の春にも、彼女は同じことを言っていた。
 けれどその時、僕がどういう言葉を返したのかはよく思い出せなかった。
 あの頃のヒナタさんは今よりもずっとアイロニックで意地悪だったから、きっと僕がどう答えたところで棘だらけの言葉で僕を黙らせたに違いない。
「君は酷いことを言うようになった」
 あなたがそうであるように、僕もまた変わったり変わらなかったりする。
 僕のヒナタさんに対する言葉の変化については、正直なところ、それなりに自覚していた。
 本当に、5年もあれば色々変わる。

 ヒナタさんはフィギュアを棚に戻し、今度は壁に立てかけたままのギターを手に取った。
 SLG-100S。それも多分、5年前には無かったものだ。
 サイレントギターであるところのそれが出す音は小さく、それでも、たった7畳そこらのワンルームの中ではよく響いた。
「まぁ、君が変わろうが変わるまいが、わたしは別段気にしないけれど」
 変わらず生きているなら、私は何も求めない、と。
 彼女は5年前、そのようなことを言っていた。
 だからきっと、ヒナタさんもまた変わったのだろう。僕がそうであるように。
 その変化の良し悪しについては、それこそ私事に属することだ。つまりどうでもいい。
 ただ僕は、有り体に言って随分と優しくなったヒナタさんのことは決して嫌いではなかった。
「わたしがそうであるように、君だって随分と角がとれたじゃないか」
 それはそうだろう。
 僕がヒナタさんに最後にあったのは、東京で一人暮らしを初めてからすぐのことで、それは社会に出てからすぐのことでもあり、精神的にも身体的にもあまり余裕は無かった。
「余裕があるのは、いいことだな。優しい人は、わたしは好きだよ」
 恥ずかしいことを言う。
「言わせたのは君だ」
 そうして、ヒナタさんは随分古い歌を歌った。ありふれた、マイナーなポップスだ。
 彼女の弾くギターは未だに下手くそだった。
 そんなことに、少しだけ安心した。

 例えば変わっていくことを止められないのだとしたら、ヒナタさんは何に変わろうとしたのだろうか、と。
 そんなことが、少しだけ気になった。
「君がそうであるように」
 一息。
「わたしだって、そんなことは考えもしなかった」
 ギターを丁寧にケースの中に仕舞い、ヒナタさんはマフラーを手にとった。
 二本目の煙草はとっくに根本まで燃え尽きていて、微かにフィルターの焦げた臭いが妙に鼻につく。
 気付けば電線に屯していたスズメはもういない。
 一度も口をつけなかったホットコーヒーは、水槽の上で冷めきっていた。
 何だって変わる。誰かがそうであるように。

「次に会うのは春がいいな」
 そうだね、と僕は答える。
 別れの言葉は、なかった。

 あなたがそうであるように。

  1. コメントはまだありません。

  1. トラックバックはまだありません。